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2007年当時は本当に「Perfumeって何?」という存在だったのです
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2013年02月27日 (水) | 編集 |
今日は親父の命日なので,このBlogでは異例だが親父の事を書こう。

親父は昭和一桁生まれで,まぁ頑固親父だったかも知れない。
というか,昭和の親父はだいたい磯野波平みたいだったのだ。

世の中が豊かになって友達親子というのが流行ったが,
親と子が友達となることはない。
親がいなければ子は存在することがないのだから。

生きるか死ぬか,食うや食わずの時にやはり頼りになるのは親だろう。
子はいつまでたっても子なのだ。

親父は戦争のことをあまり話さなかったが,
朝礼かなにかのときに親に手紙を書いているのを見つかって,
えらく殴られたのを何回も聞いた。2~3週間入院するほどだったらしい。
軍国主義の時代はそういう時代だったのだ。

親父は普段あまりあれこれと言うことはなかった。
何かあるとすれば母親を通じてだった。
おふくろが,後年,「もっとざっくばらんだったらよかったのに」
と言っていたが,それも昭和の親父の典型的な形だっだだろう。

親父はいろいろな事情で大学にいけなかったので,学歴がないことを
いつも嘆いていた。
だから,僕が大学に受かったときは相当によろこんでいた。

親父にはずっと不満だったことが2つある。
一つは,人生に迷っていたときに何も言わなかったこと
もう一つは,50代半ばにして早く引退したことだ。

一つ目は,親父が亡くなってからお袋に聞いたところでは
「あいつは自分でやっていけるやつだから,我々の
 及ぶところではない」と。
自分が行けなかった大学に行ったことで安心しきったのか。
そんなご大層なものではなく,未だに迷ったりするのだが(*´ー`)

親父が死んでから遺言書を開いていなかった。
距離が遠のくような気がしたためだ。
息子が20歳になったので読んでみたら,事務的なことしか書いてなかった。
親父,最後まではずすなぁ
「元気でやれよ」くらい書いて欲しかった(´ー`;)

もう一つ,早くの引退,これは僕も50過ぎてようやくわかったことだ。
引退できるならば早くした方がいい(*´ー`)。今はそう思う。
特攻に志願した親父はあと半年戦争が続けばこの世にいなかったかもしれない。
そんな体験から残りの人生を計算しつくしたのだろう。


かつて,大学受験に失敗した僕は旅に出た。
親父はなにも言わずにお金だけ出してくれた。

厳しくもあったが,実は僕は自由気ままだった。
あぁ,ひとつだけよく言っていたことがあった。
「何事も経験だ」と。

自由にさせてくれた親父に言おう。
親父ありがとう と


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折しも母親の手術と親父の命日が重なった。
病院の中は静かだ。時間が流れない。
おそらく周りにいる家族へ向けた「少し休め」というシグナルなのだろう。

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